私たちは、ときどき、もう会うことのできない人のことを思い出し、切ない思いをいたします。その人の姿や声が心によみがえるとき、それは「過去を思い出す」というより、「今も共にある」という感覚に近づいてしまうからかも知れません。
人は、愛する者を心に刻まずにはいられません。
いつまでも、忘れられずに生きていくものです。
聖書には、神さまの言葉として「見よ、わたしはあなたを掌に刻んだ」(イザヤ49:16)とあります。「掌に刻む」とは、その心に大きな痛みをともなうほどに、赤く心に留めるということでしょう。
しかし、私たちが誰かを思い続ける以上に、神さまは私たちのことを、その御心に刻んでおられます。見えなくなったいのちも、神さまの愛の中では失われることはなく、今もその御心の中で大切に覚えられ、生かされているのです。
私自身、大切な人を天に送り出した者として、この御言葉を思うたび、「いのちは神さまの愛の中で生き続けている」という希望に支えられます。
そして今、ここに生きる子どもたち。この子らのいのちは、神さまの御心のうちにしっかりと抱かれてこそ、これからを健やかに生きられるのです。
ひとりひとりのいのちが、神さまの御心に刻まれた尊い存在として、愛のうちに守られています。私たちも神さまと共に、そのいのちを大切に育んでいけたらと思います。 園長 長村亮介

